お菓子のホームラン王『ナボナ』は、
こうして生まれ、進化を続けています。
1963年(昭和38年)の誕生以来、50年以上経った今でも数多くのお客様に親しまれている、亀屋万年堂のヒット商品『ナボナ』。和菓子のようで洋菓子のような『ナボナ』は、誕生当時、非常に斬新な商品でした。 それでは、そんな斬新な『ナボナ』はどうやって生まれ、今なお愛されているのか。その歴史をご紹介いたします。
創業者の熱い想いが生んだナボナ
『ナボナ』は、亀屋万年堂の創業者である引地末治がヨーロッパに旅行した際、現地の菓子文化に触れ、感銘を受けたことがきっかけで生まれました。元々和菓子職人だった末治の「和菓子の感性を活かしながら、洋菓子の楽しさにあふれた商品を創りたい」という試みは、冒険的とも言えるものでしたが、熱い想いで商品化に成功し、『ナボナ』は産声を上げました。
ナボナという名前は、
想定外から生まれた?
元々『ナボナ』は、『ナポリ』という名前でした。ヨーロッパ旅行の際、ナポリをとても気に入った末治が名付けたのですが、既に他の菓子メーカーが『ナポリ』の名前で商標登録をしていることが判明し、改名を余儀なくされました。その後、『ナヴォーナ(NAVONA)広場』をモチーフに、『ナボナ』に改名しました。
和菓子と洋菓子の
良いとこ取りをとことん追求
『ナボナ』は、和菓子の親しみやすさと洋菓子の食感をミックスしたお菓子として、誕生したお菓子です。中でも苦労したのが、軽い歯触りのソフトカステラの開発でした。原材料の配分や工場内の室温に細心の注意を払い、きめ細やかな生地を生み出すことに成功したことが、『ナボナ』の原点といえます。誕生当時、既に製造ラインの機械化は完了していましたが、気温や湿度などによる細かい調整は人の手で行っていたようです。こうした職人ならではの気配り・心配りが、『ナボナ』の美味しさをより確かなものにする隠し味だったのでしょう。
王貞治氏のCMにより
一気に人気商品に
美味しいお菓子は完成しました。しかし、それだけでは爆発的な売り上げは望めません。まして50年以上にわたるロングヒットは不可能でしょう。それを可能にしたターニングポイントこそ、当時読売ジャイアンツでホームラン王として大人気だった王貞治選手に出演していただいたTVのCMです。「ナボナはお菓子のホームラン王です」というキャッチーな一言が話題になり、『ナボナ』の名は一気に広がりました。美味しさの追求はもちろんのこと、その美味しさをお客様に伝える手法の追求まで行っていた創業者の末治は、本当の意味で職人であり、商売人だったのです。
常に“最高の食感”と
“飽きさせない”ことを第一に
50年以上も一つのお菓子が愛され続けるためには、お客様のニーズを機微に感じ取り、商品に反映させていく必要があります。もちろん『いつまでも守り通さなければならない味わい』は大切にしつつも、食感の追求と飽きさせない工夫は欠かせません。
当初はチーズクリームとママレードジャムの2種類のみだったナボナも、現在では数多くの味がラインナップに加わっています。時代ごとに求められる味わい・食感を追求しながら、ナボナはどんどん進化を遂げています。
そしてこれからも
ナボナは挑戦を続けながら、
美味しさを追求してまいります。
ロングヒット商品に成長した『ナボナ』ですが、その陰では日の目を見ることなく、ボツになった商品も少なくありません。単純に満足のいく風味を表現できなかったものもあれば、製造フローにかかる負担を考えて商品化に至らなかったものまで、その理由は様々ですが、亀屋万年堂はこうした失敗を決して恐れません。それは創業者である引地末治がそうであったように、「お客様に心から笑顔になってもらえるお菓子」を作るためには、日々研究と挑戦が何よりも肝要といえるからです。常に新しいものを追求し続けた末治の想いを引き継ぎ、これからも亀屋万年堂はお客様に美味しさと笑顔を提供し続けてまいります。